ネパール エベレスト街道トレッキング【その5】
ネパール エベレスト街道トレッキング4〜6日目。
- トレッキング4日目:プイジャン(標高2835m)〜ナムチェバザール(標高3440m)
- トレッキング5日目:ナムチェバザール〜タンボチェ(標高3867m)
- トレッキング6日目:タンボチェ〜ディンボチェ(標高4350m)
トレッキング4日目:プイジャン(標高2835m)〜ナムチェバザール(標高3440m)
朝7時頃、プイジャンを出発。3、4時間ほど歩くとチャウリカルカという村に着く。このあたりで、ルクラまで飛行機で行きそこから歩き始める人達と合流する。ツアーの団体客などもいて、トレッカー自体の数も増えてくる。そのせいか、ここからナムチェまでの道のりは今まで歩いてきた道よりも綺麗に整備され、ご立派なロッジも増え、少し観光地のような雰囲気だ。
今まで数える程のトレッカーとしかすれ違わず、静かな旅を楽しんでいたので少し残念。
12時頃パクディンという村で昼飯休憩にモモを食す。ネパールではよく食べられるもので、見た目の通り餃子だ。皮がパサついていてあまり美味しくなかったので、トレッキング中はこれが最初で最後のモモになった。(なお、カトマンズに戻って食べたモモはとても美味しかった)
初めてエベレストが見えて少し感動した。あそこの麓が目的地の一つだ。
ナムチェに行く途中、めちゃくちゃ高い吊り橋を渡る必要がある。高所恐怖症の人はきついかもしれない。2段あるうちの上の吊り橋を渡る。
上の吊り橋から下を見下ろす。下の橋は現在使われていない模様。
4時半頃、ナムチェバザールに到着。ナムチェバザールは、エベレスト周辺のトレッキングルートがあちこちに分岐して行く拠点の村。パン屋、カフェ、土産物屋、トッレキング用品店、両替所などが揃っている。
今日泊まるロッジ。さすがナムチェ、宿泊客がたくさん!(今までのロッジでは自分を含めて2人が最多)
安定のダルバート。
トレッキング5日目:ナムチェバザール〜タンボチェ(標高3867m)
高度順応のためナムチェで2泊を考えていたが、人も多く煩わしいので先に進むことにした。
日の出前に、宿からナムチェの小高い丘にあるサガルマータ国立公園まで散歩する。
日の昇りとともに空が明るくなっていく。昨日登ってきた方をみると雲海になっていて、とても綺麗だった。
エベレストに初登頂したヒラリーさんの像。似ているのか似ていないのかはわからない。
宿に戻り、高山病に効くといわれるガーリックスープを朝食にいただく。身体が温まって美味しい。
7時半頃宿を出発。とりあえずクムジュンという村方面へと向かう。高度順応ができていないのか、登りがとてもきつい。一歩一歩ゆっくり進む。
空は雲ひとつない天気で、景色がとても素晴らしい。
標高が高いため紫外線がとても強い。サングラス、日焼け止めは必須とガイドブックに書かれていたが本当だった。しかし残念なことに、サングラスは持参したものの親切なガイドブックの忠告を無視して日焼け止めを持参しなかった。そのため、この後何日間もこの紫外線を浴び続け、顔面は黒く目の周りだけ白くなるという一番ダサい日焼け方になってしまう。
ナムチェから2時間ほど歩くとクムジュン(標高3780m)という村に到着。この村では、朝方になると畑にダフェという綺麗な鳥がやってくるとのこと。ダフェは、ここに来るまでに何度か遭遇していたが、青い色をしていてキジみたいな鳥。本当に綺麗なのだが、写真には取れなかった。
11時頃、プンキテンガ(標高3250m)に到着。昼飯休憩にチョウミンをいただく。見た目の通り焼きそばである。いつものことであるが量が半端ない。腹が減っていたため完食したが、半分の量で半額にしてもらいたい。味は想像通りで普通。トッピングのチーズが美味しい。
プンキテンガから登り基調の道を歩くこと2時間、13時頃、タンボチェ(標高3860m)に到着。まだまだ時間も早いし体力も残っているが、高度順応のため今日はここで宿泊。宿泊地の標高を500m以上上げるのは良くないらしい。(昨日のナムチェが3470mくらい)
村はとても小さいが、視界がひらけていて展望が良い場所だった。遠く正面に見えるのがエベレスト。右に見えるとんがったのがアマダブラムという山。アマダブラムは、標高は6800mくらいとそんなに高くはないが、特徴的な形をしていて格好良く気に入った。名前もかっこいい。
この日はご立派なロッジに宿泊。残念なことに水が凍ってて使えなかった。
なお、トレッキングの14日間は一度もシャワーを浴びていない。体は、湿らした手ぬぐいかエチケットシートで拭いて、頭は、濡らした手でガシャガシャ頭皮をマッサージしていた。それで特に不快感はなく、水が冷たいことを除けば問題はなかった(周囲の人間がどう感じていたかは知らない)。湯シャン生活のおかげかな。
ロッジの2階テラスからの眺め。ミルクティーを飲みながらのんびり景色を楽しむ。
夕日に照らされるエベレストとアマダブラム。
村にあるゴンパ。寺ですね。ここのゴンパはとても立派だった。
時間を持て余していたので、馬のケツを撮って楽しむ。
元々は黒いトレランシューズなのだが、砂埃の影響でこの時すでに面影なし。
この日もダルバート。ここのダルバートはおかずが豊富で味も美味しかった。
トレッキング6日目:タンボチェ〜ディンボチェ(標高4350m)
朝7時頃、ロッジを出発。
ロッジを出発してから1時間くらいずっと犬がついてきてくれた。一方的に会話相手にしていたのだが、いつのまにかいなくなってしまい、少しさみしくなる。
8時半頃になっても谷底には陽が入らない。陽が当たらないうちはとても寒くて、身体を温める太陽がいつも待ち遠しかった。
標高4000mくらいから森林限界となり、岩と砂の世界になる。山のスケールもどんどん大きくなっていき、荒々しくも白く輝く様は神々しささえ感じた。
自分の前後に人の気配は全くなく、時折強く吹く風の音と自分の呼吸音のみの静寂な時間が続く。
この景色を堪能しながら静かに歩けることが嬉しく、自然と顔がにやける。
12時頃、ディンボチェ(標高4410m)に到着する。高山病対策のため、時間は早いが今日はここに宿泊。
時間を持て余したため、写真中央の茶色い山に登ることにした。日本語読みがわからないが、Nangkar Tshangという山で標高5083mほど。
荷物をロッジに置いて空身で登るので散歩程度と思っていたが、これがキツいキツい。なんでも標高4000mだと酸素濃度は地上の60%、5000mだと50%程度になるという。呼吸が苦しく、鼻息を荒くして登る。
キツい散歩の末、息も絶え絶え登った頂上。頂上は目印の棒とタルチョのみ。日本のように標識など無い。ここからの景色は素晴らしかった。
本日のダルバート。しょっぱかった。でもお代わりしてしまう。
つづく
ネパール エベレスト街道トレッキング【その4】
ネパール エベレスト街道トレッキング3日目。
今日はヌンタラからプイジャンという村まで。
朝飯に炒めたジャガイモをいただく。うまいのだが量が半端なく多くて途中で飽きる。半分以上残して、自前のジップロックに入れて行動食にした。
遠くの山がうっすら白い。
この村は馬がたくさんいた。荷物の運搬に使うのか?
どこへ行っても見事に段々畑が整備されている。日本の里山もそうだが、十分に手入れされている土地は、見ていてとても気持ちが良い。
そしてネパール人は皆働き者だ。皆何かしらの仕事をしているように見受けられる。この間行ったベトナムとは大違い。人種や文化の違いもあるのだろうが、たぶん人は暑いとだらけるようになるのだ。
たまにすれ違うライダー。表情が凛々しい。
今日も昨日と同じく午後になるとガスってきた。
ネパールではロッジが1、2時間ごとに点在するので、時間を気にせず、歩きたいだけ歩けるのがとてもうれしい。疲れたら早くロッジに入って休めばいいし、歩けるなら日没近くまで歩ける。日本のように、まだ歩けるけど、次の山小屋やテント場までの距離が遠いのでここまでっていうのがない。
5時頃プイジャンという村に着いたので、今日はここで宿泊することにした。
ロッジには自分のほかに宿泊客はおらず、二人の若い男スタッフと小さな子供と犬がいた。この3人がとても仲がよく、見ていて微笑ましかった。
暖炉、はしゃぐ犬、走り回る子供、温かいミルクティーを片手に、静かなロッジに響く談笑。なんとまあ幸せで豊かな光景か。そんな幸福な空間の中、ひとり静かにお決まりのダルバートを食べる。
部屋はとても寒く、寝袋に布団をかけて今日も早く寝る。
つづく
ネパール エベレスト街道トレッキング【その3】
ネパール エベレスト街道トレッキング2日目。
今日はセテからヌンタラまで歩く予定。
朝は特に空気が澄んでいて気持ちいい。
宿を出発して早々に道間違いをしてしまう。30分のタイムロス。
エベレストへ向かうメイントレイルの他にも生活道やヤクが通った道が交差している。大きな分岐には目立つ目印が付いているが、ぼやっと歩いているといつのまにかメイントレイルから外れたりすることもある。そんな時はだいたい親切なネパール人が「こっちじゃ無い、あっちだ」と教えてくれる。
日陰にはうっすら雪が積もる。
今日はラムジュラ・ラという峠を超える。「ラ」というのはネパールの言葉で峠という意味。標高は一時3700mくらいまで上がる。
セテの宿から徐々に標高を上げていくのだが、峠を超えるまでとても足取りが重く、呼吸がとても苦しかった。その時は単に「体力落ちたなー」と思っていたが、あとあと考えると、軽い高山病だったのだろう。正直、かなりしんどくて立ち止まって昼寝したい気分でいっぱいだった。
なんとか峠を超えると、足取りはぐんと軽くなった。道の雰囲気も変わる。
途中休憩したジュンベシの村。この時点で2時すぎ。目的地のヌンタラまではあと4〜5時間かかる予定。ヌンタラは厳しいかな、手前のタクシンドゥ止まりかな、と色々考えるも、結論は出ずにとりあえず急いでカレーを食べてすぐに出発した。
牛が道を塞ぐ。俺は急いでいるのだが。
3時頃になると霧が湧いて展望が悪くなり、景色を楽しめなくなる。ただただ目的地をひたすら目指して歩く。暗くなる前には着きたい。
途中フラットなトレイルを走ったりしながら、6時前に無事目的地のヌンタラに到着。
宿に着くと、ミルクティーで体を温めながら、地図を開いて明日の計画を立てるのが日課となった。地図を眺めているだけで楽しい。
お決まりのダルバート。
今日はとても疲れた。早く寝て回復に努めよう。
つづく
ネパール エベレスト街道トレッキング【その2】
ネパール エベレスト街道トレッキング初日。DAY1。
今日はシバラヤからセテまで歩く予定。
朝早く宿のご主人にチベタンブレッドをつくってもらう。早く歩きたかったので、キッチンペーパーに包んでもらって行動食にした。チベタンブレッドは薄いパン生地をサクッと油で揚げたものらしい。揚げたては美味しそうだったが、行動食にしてしまったので、食べる頃には冷え切っていた。それでも十分美味かった。
朝7時頃ロッジを出発。あたりはまだ少し薄暗く、肌寒い。空気がとても澄んでいて爽やかだった。
今回のトレッキングコースは、観光客にとってはトレッキングルートだが、現地住民にとっては生活道となる。学校にいく子供達や、荷物を運ぶポーター、ヤクや牛といった動物など、現地住民が普通に利用しているような道を歩くのである。
現地住民の生活を垣間みながら歩けるのでとても面白い。畑仕事や家の修理、子供の世話、洗濯など、大人から子供まで何かしらの仕事をしている。
トレッキングコースには基本的に1、2時間歩くごとに集落や村が存在している。どの村でも一軒くらいはロッジ兼レストランがあるので、そこで休憩したり、宿泊したりといった感じで歩いていく。
トレッキング中は朝起きて、歩いて、ご飯食べて、また歩いて、眠る、というとてもシンプルな生活だった。これがとても心地よかった。
マニ石といって経文やマントラが書かれている。歩くときは右回り(時計回り)で通過する。
タルチョ。青・白・赤・緑・黄の5色で構成されていて、願い事や経文が書かれている。風になびくたびにそれが読まれたことになるらしい。
デオラリ峠を超えた先にあるバンダールという村は、雰囲気が良くて印象に残っている。太陽が降り注ぎ、畑が広がり、小川が流れ、樹木が木陰を形成し、牛やヤクがたむろする。なんというかとても牧歌的でのどかだった。こんなところで暮らしたいと思った。
吊り橋はトレッキング中なんども渡ることになる。
3時過ぎにキンザという大きめの村に到着。ミルクティーとココナツビスケットでしばし休憩。
このココナッツビスケットはどこにでも売っていて、標高によって値段は変わるが30〜100ルピーととても安いのに、一袋500カロリーもある行動食にはうってつけのお菓子。とても美味しくて、小分けにして食べようと毎回思うが、自制が効かず最後まで食べてしまう悪魔的食べ物。トレッキング後半になると、栄養面を考えリアルフードを食べた方がいいと思ったので買うのを我慢した。
キンザから本日の目的地セテまで登りがつづく(キンザの標高1620mでセテは2575m)。ここの登りはしんどかった。
セテはとても小さな村だった。ロッジは見たところ3軒くらいあったので、見て回るもそのうち2軒はオフシーズンなのでクローズしているようだった。しょうがないので最後の一番オンボロそうなロッジに泊めてもらう。
ロッジはオンボロだったが、主人のおじいさんがとてもいい人でホスピタリティに溢れていて居心地が良かった。
汗をかいたので衣類を洗濯した。洗濯といってもたらいに水を貯めて足で踏むだけ。西日で乾かすも半乾きにしかならなかった。無理矢理着て体温で乾かした。
部屋の窓から夕日を眺める。ボロい窓がいい雰囲気。
夜ご飯はダルバード。食堂は小さな蛍光灯しかないのでとても暗い。
食後は、同じく宿泊していたアメリカ人のハナという女性とロッジのおじいさんと歓談。おじいさんがおしゃべりで、同じ話を何度もするタイプの人っぽいが、陽気で楽しませてもらった。
ハナという名前はミドルネームで、おじいさんが日本人らしく兄弟みんな日本ぽいミドルネームを持っているのだそう。お互いアルトラのシューズを愛用しているというので意気投合した。パシフィック・クレスト・トレイルも去年踏破したとのこと。
おじいさんの名前も聞いたが、長過ぎて部屋に戻る頃にはもう忘れた。
部屋に戻ってもやることもないので、今日も8時過ぎに眠りにつく。
つづく
ネパール エベレスト街道トレッキング【その1】
初めての海外トレッキングはネパールへ。
場所はヒマラヤ山脈、エベレスト街道と呼ばれるエベレストベースキャンプが目玉のトレッキングコース。
エベレスト。
世界で一番高い山。ネパール現地の言葉でサガルマータと呼ばれる。このトレッキングコースは、エベレストを含む7000〜8000m級の山々に囲まれながらトレッキングを楽しむことができる。
このエベレスト街道とその近辺を14日間かけてトレッキングしてきた。
12〜2月は厳冬期でオフシーズンにあたるということで、出発前は積雪や寒さを心配した。実際行ってみると、積雪や降雪はほとんどなく、寒さについても、陽が落ちる朝晩はめちゃくちゃ寒いが、陽が出ている日中はポカポカ暖かい。歩いていると暑いくらいだった。
オフシーズンなので、トレッカーも極めて少なく、とても静かに歩き旅を楽しめた。
エベレスト街道のアクセス方法
ネパールの首都カトマンズからエベレスト街道へのアクセス方法は主に3つある。
①飛行機でルクラまで行く
②路線バスでジリまで行き、そこから歩き始める。①よりもプラス6〜7日必要
③ジープをチャーターして、サレリまで行き、そこから歩き始める。①よりもプラス2〜3日必要
たいていの人は①を利用。
②でいく場合、ジリ〜ルクラ間を6〜7日間かけて歩く。里山をのんびりトレッキングという感じで、エベレスト目当ての観光客や時間がない人は歩かないエリアなのでトレッカーが少ない。
また、飛行機でルクラまで行くには片道172ドルかかるが、路線バスでジリまで行くのは片道600ルピー(6ドル程度)となり、大幅な節約が可能となる。
というわけで、時間がある、お金を節約したい、静かなトレイルを歩きたいという自分のニーズにマッチした②の方法でアクセスすることにした。
カトマンズ〜ジリ 路線バスの旅
朝5時ころ、ホテルを出て、路上にたむろしている野犬をかわしながら、前日に下調べしておいたバスパークに向かう。到着したバスパークでジリ行きのバスを探すも、あたりはまだ薄暗く、そしてあまりにもバスが多すぎて、状況を把握するのすらめんどくさい感じだ。
しょうがないので、そこらへんにたむろして朝のティータイムを楽しんでいるネパール人に「ジリ?」「ジリ?」と声をかけまくる。そのうち、一人の怖そうなお兄ちゃんが「ジリ?ついてこい」って言うので、不安ながらもついて行くと、ちゃんとジリ行きのバスに案内される。なんでも自分のバスらしい(実際、彼はジリまでずっと搭乗し、乗客の集金やパンクの修理、タイヤ交換などを一手に担っていた)。無事、座席を確保して出発を待つ。外国人は自分のみ。
暗闇。バスの数が尋常じゃない。
案内された、多分ジリ行きのバス。
六時半か七時ころようやくバスが出発。途中、休憩を挟みながら15時頃ジリに到着する。
ここでバスがジリに到着するまでに起こった出来事及び現象を列挙する。
・ザックを預ける場所がないので、常に膝の上でつらい。→のちのち、バスの揺れに対して、ザックの重みを利用し自分の体が浮くことを防ぐ有効な手段となった。
・窓開けっ放しの奴がいて、とても寒い。そして砂埃めっちゃ入ってくる。
・自分周辺の窓はちゃんと閉めるのだが、ロックができないため、バスの振動で徐々に空いてくる仕様に。寒いと思ったらいつのまにかフルオープンになっている自動ドア状態。定期的に閉めるも後々どうでもよくなってくる。
・自分の座ったリクライニングシートがバカで、徐々に倒れていく仕様。20分に一度はレバーをひいて元に戻さなければいけない。→途中で座席移動した。
・道路が未舗装なので、めちゃくちゃ揺れる。飛び跳ねて頭を天井に打つレベル。特に後部座席は要注意。→バカなリクライニングシートを避けるため、空いていた後部座席に移動したがこれが大失敗。
・前の男が酔って窓の外に向かってゲロを吐く。吐いたあと、こちらに向かって笑顔で「OK」と言ってきた。なんのこっちゃ。
・ぬかるみにタイヤを取られ30分立ち往生。通りすがりのトラックに牽引してもらって窮地を脱出。
・しばらくすると今度はタイヤがパンク。交換作業、タイヤの修理などで1時間以上タイムロス。
色々なハプニングがありながらも無事ジリに到着。
シバラヤ到着
ジリからさらにシバラヤという村まで路線バスがでているというので、日程短縮のため、今日中にシバラヤにいくことにした。
またまた、同じような路線バスに揺られながら1時間半程度でシバラヤに到着。
シバラヤはのんびりとした静かな村という印象。
村には数件のロッジがあったが、なんとなく良いなと思ったところをチョイス。
ブラックティーで体を温める。
夜ご飯はダルバート。ちなみにトレッキング中は毎晩ダルバートを食べることになる。
明日に備えて、8時過ぎの早めの就寝。標高1800mくらいの場所だが、夜は結構冷えるなと感じた。
ちなみに宿代100ルピー、ダルバート350ルピー、ブラックティー50ルピー。
(1ルピー≒1円)
ネパールのロッジは、宿代がとても安い代わりに、必ずそのロッジで食事を取るシステムになっている。部屋はベッドと布団のみのシンプルな作りで、シャワー、トイレなどは共同となっている。
つづく
ベトナム旅行 グルメ編
ベトナム旅行で美味しかった食べ物などを紹介。
<生春巻き>
定番。ベトナムではゴイクオンという。あっさりしてておやつ感覚で食べられる。場所によってライスペーパーが乾ききっていたりと当たりハズレがある。
ベンタイン市場の中で食べた。
<フォー>
こちらも定番。コメの麺でスープはさっぱりしてて美味しい。牛、鶏など色々な種類の具がある。香草なども一緒に出されるので入れて混ぜて食べる。卓上調味料で味を変えたりも可能。卓上には基本ヌクマム、ライム、唐辛子などが常備。
牛肉のフォー。ここは現地民で大人気のお店だったが、本当に美味しかった。ベトナムでは現地民で混んでいる店はほんとうにハズレがない。安くてうまいところばかり。逆にガイドブックに乗ってたり、観光客相手の店はイマイチだった。
ここも地元の人気店。メニューは牛肉のフォーのみ。もちろんうまい。
朝7時くらいだが大人気。
<コムビンザン>
コムビンザンといって、日本で言うところの大衆食堂。コムはベトナム語で米の意味。店頭におかずが並んでいて、食べたいものを指差しでチョイスするとワンプレートにご飯と一緒に盛ってくれる。見た目で料理を選べるので間違いがない。
野菜のおかずや肉のおかず、店によっては魚介も並ぶ。お店によってご飯がコムタムといって割れ米の場合があって、これが普通の米よりも軽い食感でおかずの汁が染み込みやすく美味しかった。
豚の角煮がとてもうまくて何度も食べた。豚をヌクマム(魚醤)とココナッツなどで甘辛く煮てあって、ご飯がめちゃくちゃ進む。
右下の土鍋はカーコートといって、淡水魚を甘辛く煮た家庭料理。これもめちゃくちゃ美味くて、あれば必ず頼んだ。日本での鯖の味噌味的な立ち位置と思われる。
<バインミー>
フランスパンに香草、野菜、パテ、肉などを挟んだもの。ファーストフード的な食べ物。店によって具材や味付けが全然違ったり、フランスパンのクオリティも大きく違う。
<カオラウ>
ベトナム中部の都市、ホイアンの名物。うどんのようなコシのある麺に少量の味の濃いスープを混ぜて食べる。具材は豚肉、揚げたライスペーパー、もやし、香草。同じ麺類だがフォーと全然違う。伊勢うどんがルーツだとか。
<ミークアン>
ベトナム中部の都市、ダナンの名物。カオラウと似ているが、こちらはきしめんのような平たいコメの麺。揚げゴマ煎餅みたいなのが添えら、割り入って食べる。
<ブンチャー>
ベトナムのつけ麺。つけだれの中に炭火で焼いた肉が入っており、そこにブン(コメの麺)をつけて、香草などと一緒に食べる。
この店はオバマ前大統領が訪れたことで有名。メニューにはオバマコンボ、店内にはオバマの写真がたくさん飾ってあり、オバマアピールがすごい。
<ソイ>
もちもちしたお米でおこわみたいな食べ物。ベトナムの家庭料理。
下の店はソイガーの専門店で、その名もソイガーナンバーワン。ソイはおこわ、ガーは鶏肉の意味で、おこわの上に鶏肉がのせてある。フライドガーリックが良い食感でとても美味しかった。
違う店のソイ。具沢山。ベトナムでミックスや色々な種類が入っていることをタップカムという。色々な味を試したいときやメニューに迷ったらタップカムと言っておけば場間違いない。発音も結構通じるので旅行の後半はタップカムを連発した。
<チャオ>
ベトナムのお粥。これもタップカムにした。鶏肉やら内臓やらがゴロゴロ入っていた。日本のお粥とは違った独特の風味やダシが効いていて、あっさりしていてとても美味しかった。
<チャーカー>
ハノイの名物で、白身魚の油鍋。白身の淡水魚をカレー粉で炒めたものを、油が入った鍋で香草やブンと一緒に少し煮込んで食べる。18万VDN(約900円)とベトナムでは高級料理に属する。油を大量に使っているが意外にあっさりしていて美味しかった。が、値段以上の価値は見出せず、コスパは良くない。
<バインセオ>
これもベトナムでは有名な料理で、ベトナム風お好み焼きと呼ばれているが味は全く違う。生地の中にはもやしや豚肉などが入っていて、生地ごと香草やライスペーパーで巻いて、ヌクマムなどにつけて食べる。
<ビアホイ、ビア>
ベトナムはビールが大変安い。屋台やレストランで頼んでも瓶ビール1本大体75円〜150円くらいで飲めちゃう。旅行中は毎日飲んでいた。
さらに安いのがこのビアホイ。一杯30円〜50円と以上に安い!街中にある屋台酒場のようなところで出される自家製ビールなのかな多分。味は薄く、アルコール度数も3〜4%くらい。
ビアサイゴンと空芯菜の炒め物。ガーリックが効いてとても美味しい。つまみにも合う。
<チェー>
ベトナムスイーツ。甘く煮た豆や芋、フルーツ、寒天などの具材を合わせて食べる。温かいものと冷たいものがある。甘くて美味しいのにとても安い。具材や店によるが、大体75円〜150円くらい。
持ち帰りというとこんな感じでパッキングしてくれる。
おしゃれなチェー屋さんで食べたドリアンのチェー。初めてドリアンを食べたが美味しかった。
ホットチェー。ぜんざいのような感じ。肌寒いハノイの夜に食べるとあったまって良い。ただ甘すぎる。
ベトナムは安くて美味しいものがたくさんあり、食には困らない。お腹を下したのは1回だけ。
以上
ベトナム旅行 観光編inハノイ
ホーチミンよりも落ち着いた街並みで客引きなども少ない。古い町並みも残っていて散歩していて楽しい。ハノイよかった。
- <ハノイ大教会>
- <ホアンキエム湖>
- <ゴックソン祠>
- <セラミックロード>
- <ドンハー門>
- <タンロン遺跡>
- <ハノイ駅>
- <文廟>
- <ホアロー収容所>
- <ベトナム民族学博物館>
- <水上人形劇場>
- <そのほか>
- <帰国>
<ハノイ大教会>
<ホアンキエム湖>
街の中心部にある湖。早朝にランニングや体操する市民の姿が見られる。市民の憩いの場。井の頭公園的な感じ。
夜になるとライトアップされる。
ランニングしてたり、バトミントンしてたり、独自の体操している人たちが大勢。ベトナム人は早朝や夕方になると運動や体操をする人が多く、健康意識が高い。
週末になると歩行者天国になって多くの人で賑わう。
パフォーマンスなどもたくさんやっていて歩いていて飽きない。
これは学生によるダサい踊り。
よくわからない遊び。
縄跳びもあるよ。飛び入りOKらしい。
どこかで見たようなゆるキャラが闊歩していたり。
<ゴックソン祠>
ホアンキエム湖に浮かぶ祠。ホアンキエム湖伝説の大亀や、関羽、チャン・フン・ダオが祀られている。特に見所があるわけではない。
<セラミックロード>
4kmほどある陶器によるモザイク壁画。ギネスに登録されている。一見の価値あり。
<ドンハー門>
1749年に建てられた旧ハノイ城の城門。
<タンロン遺跡>
11〜19世紀まで栄えたベトナム王朝の城。世界遺産に登録されている。
現在も発掘作業中。
<ハノイ駅>
ホーチミンまでの所要時間31〜35時間!
<文廟>
学問の神様、孔子が祀られている。1070年建設。1076年にベトナム初の大学が設立され、その後700年の間、多くの学者や政治指導者を輩出してきたらしい。
<ホアロー収容所>
ベトナム戦争時代の捕虜収容所。最大で2000人が収容されていた。中は薄暗くて不気味な雰囲気。ギロチンや独房などが残って展示されていて、結構ショッキング。
ギロチン。
分厚い壁。
<ベトナム民族学博物館>
ハノイ中心街から少し離れたところにあるベトナム民族学博物館。ベトナムは多民族国家で54の民族がある。各民族の風習や祭礼が細かに展示されている。図解や模型、実際の生活道具、ビデオなどが充実していて視覚的でわかりやすく、期待していなかったけどめちゃめちゃ楽しめた。
トーテムポール的なもの。
ベトナムを構成する54の民族。
自転車に、魚をとる罠をくくりつけて商売してたよっていう展示。
狩猟採集の道具とか、楽器とか、布とか、祭礼用のお面などなど。見所満載。
屋外には、各民族の生活住居が移築されている。これもとても興味深くて面白い。地域によって色々な特徴がある。これからの小屋作りの参考にもなった。
横長の小屋。
屋根が馬鹿高い高床式の小屋。
<水上人形劇場>
ベトナムの伝統芸能。民話、習慣、伝説、民族的な話が、ベトナム楽器による演奏とともに、水上で人形を用いて演じられる 。動きがコミカルで、言葉はわからずともニュアンスは伝わってくるのでなんとなく楽しめる。上映時間も40分と適度に短いのでおすすめ。
演者さん。
人形。コミカルでしょ。
<そのほか>
ベトナムは日本と違って子供がたくさんいた。元気があってよろし。
旧市街といって古い町並みが残るエリア。
旧市街は、問屋的な専門店が各通りに立ち並んでいる。服、靴、金物、おもちゃ、お菓子、木材などありとあらゆるものが勢揃い。
ベトナムは路上でなんでもやる。
青空セパタクロー。
青空散髪。
青空包丁研ぎ。
ベトナム人のバイク所有率、大人は100%を超えているらしい。
積載能力高すぎ。
ベトナムのエンターテイナー達なのかな?ものまね王座決定戦みたい。
夜のハノイ。
<帰国>
ハノイも十分満喫したので帰国。早く帰りたいような、まだ滞在していたいような気分。帰りも格安航空券で。ジェットスターパシフィック。
寝ていたらあっという間に関西国際空港到着。マリオやリンクが出迎えてくれた。
日本の清潔さに安心感と感動を覚える。また、そのうち慣れると思うが、歩いている人たちは皆元気がなく暗くみえた。
一旦外に出ることで、中の良さ、悪さを客観的に見ることができることを実感。
おわり