2018.6.4 金峰山デイハイク
梅雨に入る前の6月初めに金峰山に登ってきた。午後に予定があったため、日帰りピストンのスピードハイク。装備はトレランのザックに、足元はワラーチで軽快に。
登山口のみずがき山荘から1時間くらい歩けば富士見平小屋に着く。
富士見平小屋にはテント場があり、登山口からのコースタイムが短いのでテント泊装備を背負って歩く時間が短い。それと東京から比較的近いということもあって、富士見平小屋はテント泊入門に最適という。
テント泊初心者は普段背負わない重いテント泊装備を背負って長く歩くと疲弊するのでテント泊が嫌になるらしい。
3年くらい前、ツエルトや寝袋などを買い揃えて日帰りではない本格的な登山を始めた。当時、このテント泊入門コースの情報を得たテント泊処女の私は、緊張と期待を持ってこの地を訪れた。
初めてのテント泊は楽しかった。自分だけの空間があり、何をしても良いし、何もしなくても良い。夕日が綺麗だったり、夜がとても静かだったり、風が木々を揺らす音が意外に大きかったり、朝一番の空気がとても澄んでいて気持ちよかったり。都会では得られない非日常がそこにあった。
今思うと大したことない経験だが、普段しないことを計画して、準備して、実行したことは当時の自分にとっては大きな一歩だった。
何事もスタートする前が一番億劫なのである。スタートしてしまえば後はやるしかない。やる気は後から付いてくる。
考えるよりもまず行動。
話を元に戻す。
本日は晴天で暑くもなく寒くもない、動くと少し暑い、絶好の登山日和。足元はワラーチなのでフットワークが軽い。
ワラーチ登山の長所は、開放感があること、軽いので登りが早いこと、足裏でしっかり大地を踏みしめる感覚が得られること、捻挫の心配がないこと。短所は、グリップがあまり効かないので足の置き方に注意しなくてはいけないこと、下りでスピードを出せないこと、木の根を蹴るとつま先が死ぬこと。
装備は技術と体力で置き換えられる。何と言ってもミニマルな感じがいいよね。
朝5時半ころみずがき山荘を出発。3年前を思い出しながらスイスイ登る。
あっという間に思い出の富士見平小屋。ここから瑞牆山と金峰山に道が別れる。
富士見平小屋から金峰山方面に歩を進めると、しばらくして大日小屋に到着。
大日小屋を過ぎ、しばらく登ると森林限界になって視界が開ける。雲ひとつない青空。空が澄んでいて、遠くの景色まではっきり見える。
後ろに目を向けると八ヶ岳。
富士山もくっきり。森林限界後は常に右手方向に富士山が望めるので、とても気持ち良い稜線歩きが楽しめる。
目指す山頂の五丈石。森林限界以降の稜線が美しい。
五丈石に到着。自然にできたのか、人工的に積まれたのかわからないが、神秘的な造形。
景色を堪能したので、来た道を戻る。
9時40分ころみずがき山荘に下山。
以上
自意識が邪魔をする
自意識が邪魔をしてブログが書けないという話。
こう書いたら読んだ誰かが勘違いしないか、誤解しないか、馬鹿だと思われないか、くだらないことばかり書いているなとか、などなど他人の評価、目線がちらつき、筆が止まる。
こんなブログ、ほとんど誰も見ていないのに。他人の目などを気にするくらいならブログで世間に発信などせず、メモ帳にただ書き連ねて満足してれば良いのだ。
自意識が邪魔をする
5年間くらい「東京ポッド許可局」というラジオ番組を愛聴している。マキタスポーツ、プチ鹿島、サンキュータツオの3人のおじさんがあるテーマ(番組では〇〇論と呼ばれる)について自由に喋り合うという内容だ。
その番組のコーナーの一つに「自意識が邪魔をする」というのがある。
自意識のせいでできないこと、できなかったことを、理由とともに自己申告するコーナーで、例えば、
文字プリントのTシャツが着れない (→ 意味のない英語を読まれるのが恥ずかしい) 異性の友達を、下の名前で呼び捨てできない (→ 一気に距離を縮めたい感じが耐えられない、馴れ馴れしくできない)
我が身を振り返るとたくさん思い当たることがある。
なにせ、自分は他人の評価を気にして生きてきた自覚がある。そう、自意識過剰。
子供の頃、親によく言われていた記憶があるが、大人になった今でもそう思う。
現在、この自意識が邪魔をして自由にブログが書けないのである。
そもそもブログを始めた理由
1つは備忘録として。
人間の記憶なんてあてにならない。自分の都合のいいように記憶を改ざんすることも確実にある。当時の出来事、何を考えていたかをアウトプットしておくと、後々役に立つと考えた。
2つはアウトプットの練習として。
文章を書くことは、ある意味生産的行動と考えた(それがどんなにくだらなくて便所の落書きレベルのものでもね)。
そして文章は書かないと上手くならない。
今までの人生、ほとんどインプットばかりだった。インプットしたらアウトプットしなければバランスが悪い。便秘だ。入れたら出す。
フェイスブック、ツイッター、インスタグラムなどのSNSで、誰でも気軽に情報を発信できるようになって久しい。しかし、前述の自意識が邪魔をしてほとんどやってこなかった。(人に馬鹿がバレるのが怖かったり、こんな程度の人生か笑と思われたくなかった)
ブログによる広告費などの収入になればいいなーと軽く考えていたが、始めてみたら、相当な努力と分析、根気が必要で自分には向いていないと感じたため諦めた。
つまり、このブログは、誰かに読んでももらおうという類のものではなく、あくまで自分のために始めたものだった。
これからは無駄な自意識は捨てる
自由にブログを書くためにくだらないプライドは捨てよう。馬鹿に思われようが、文章が稚拙だろうが、中身がなかろうが、ブログを書くことはアウトプットの練習である。練習なので、どんどん書くことに意味がある。脚色せず、ありのままを書くことに価値がある。
プライドを捨てる。他人の目を気にしない。これはブログに限った話ではない。
他人のための人生ではない。自分のための人生だ。他人の顔色を伺って生きても面白くないし意味もない。
他人にどう思われようと、自分がやりたいことを制限しない。自分の欲求に素直になる。もっと気楽に生きよう。
人は皆自分が大好きなのだから、誰かの言動などその瞬間は気になるだけでどうせ後ですぐに忘れるものだ。
もちろん、社会常識は守る範囲でね。
以上
2018.5.29 日帰り鳳凰三山 ドンドコ沢in
山梨での生活が落ち着いてきた今日この頃、近所の百名山である鳳凰三山に行ってきた。鳳凰三山は地蔵岳、観音岳、薬師岳の三つの山の総称である。
朝6時頃、登山口の青木鉱泉に到着し、登山開始。ドンドコ沢から登り、鳳凰三山を経て中道へ下る周回ルートを選択。
やまクエによるレベルは75。
http://www.yamaquest.com/detail/hoosan-2841/3056.html
4月以降、日中の仕事で身体を動かすので毎日の習慣だったランニングをやめてしまった。ネパール以来の登山なので体力の低下が心配。
東京で働いていた頃は、帰宅がどんなに遅くても朝5時に起きて1時間程度のランニングを日課にしていた。デスクワーク中心の仕事で体力が有り余っていたせいだ。
その代わり、筋トレを始めた。
今の仕事では自分の長所であった山道を100km走れる心肺能力、筋持久力はあまり必要とされず、純粋な筋力が必要な場面が多々ある(肥料もったり硬いネジ回したり)。そんな時、ペンよりも重いものを持ってこなかった己の非力さを呪った。その結果が筋トレだ。
環境が変われば習慣も変わる(環境が変わっても変わらないことが習慣?)。昨日の非常識、今日の常識。今日の常識、明日の非常識。
本題に戻る。
青木鉱泉に軽トラを停め、ドンドコ沢より登り始める。駐車場料金750円なり。
ドンドコ沢から登る。
ドンドコ沢は5つの滝が見所。だいぶ間近までいける滝もあるので迫力満点。
久々の登山はやはり良い。1人静かに歩いている間は色々なことが頭に浮かんでは消える。昔のこと、現在のこと、これからのこと。ただ、疲れてきたり腹減ったりすると、早く下山したい、降りたら何食べようという雑念に支配されるので要注意だ。
3時間ほど登り続けると、視界がひらけて雰囲気が変わった。白い砂地盤になる。遠くに見えるは地蔵岳のオベリスク。
鳳凰小屋に到着。平日のためか、まだシーズンオフのせいか、管理人は不在。トイレをお借りして先へ進む。
ここから地蔵岳までは急登で砂地盤。滑らないよう踏ん張るためケツの筋肉を使う。
乳酸が溜まったところでたどりつた地蔵岳。シンボリックな目の前のオベリスクは下界からでもよく見える。
オベリスクのふもと付近まで岩をよじ登って進む。てっぺんまで行くと降りれなさそうだったので、てっぺん少し手前で断念。
薄曇りの天気で景色が少し霞んでいたが、八ヶ岳、甲斐駒ケ岳、仙丈ケ岳がよく見えた。
おにぎりを食べながら少し休憩して観音岳を目指す。観音岳は鳳凰三山の中の最高点(標高2841m)。
午後に済ませたい用事があったため、小走りで下り、13時半頃に青木鉱泉に到着。
駐車場付近にある川の水で汗をぬぐい、さっぱりして帰りましたとさ。
<装備品>
ウインドウシャツ:アトリエブルーボトルのハイカーズヤッケ
上:メリノウールのロングT
下:山と道5ポケットショーツ
靴:アルトラ オリンパス2
ザック:山と道mini
食料:コンビニおにぎり2個、チーズ、ゆで卵、ナッツ、ドライフルーツ
水:1リットル(消費したのは700mlくらい)
上記装備で暑くもなく、寒くもないちょうど良い気温だった。
体力もあまり衰えていないようで安心。
以上
山の恵み、ふきのとうとたけのこ
山菜の季節。
現在住んでいる北杜市は市内でも標高差が大きく、桜の開花や山菜の出始めるタイミングもエリアによってずれてくる。
メインの職場がある須玉町というエリアは標高が480m前後だが、現在の住まいがあるエリアは800m前後でかなり標高差がある。
時期は少し前で3月終わりころになるが、周りを見渡すとふきのとうがちらほら見え始めた。至る所に生えているので、採集してふきのとう味噌にしてみた。
材料は、
ふきのとう
ごま油
味噌
みりん
作り方は簡単で、ふきのとうを刻んでごま油で炒める。味噌とみりんの合わせ調味料を投入して好みの硬さまで火にかけて完成。
ほろ苦さが残り、焼酎によく合った。
最近はたけのこである。竹は成長が早く繁殖力が高いので、せっせとたけのこの段階で採集しないと厄介な竹林になってしまう。
鍬で根元をザクッと一撃すると、意外なほど簡単に採れた。
たけのこはアクが強いのでアク抜きが必要。普通は米ぬかで茹でるらしいが、米ぬかがなかったので米で代用。食べた時エグ味などは感じなかったのでアク抜きは成功したと思う。
茹でて、一晩ほっとけばできあがり。皮を剥いて可食部をむき出しに。思っていたよりも可食部が大きくてうれしい。
シンプルに醤油を垂らして、刺身でいただいた。食感がシャキッとしていて美味しかった。
採集生活が楽しいので、野草や山菜の知識を増やしていきたい。
地域おこし協力隊に就任!
4月1日より山梨北杜市の地域おこし協力隊の枠組みで、とあるNPO法人のスタッフとして活動することになった。
受け入れ先のNPO法人は、耕作放棄地といった未活用の農村資源に新たな価値を創り出し、都市と農村をつなぐ事業モデルを広めることで、農村と都市それぞれの課題をともに解決し、持続可能な社会づくりに取り組んでいる。
山梨県北杜市の増富地域という農山村を主な活動の拠点とし、自社農場において、農薬や化学肥料に頼らない農法で農業生産に取り組むとともに、この自社農場をフィールドに、様々な企業と連携した都市農村交流事業を行っている。
というわけで、私の業務は主に農業、そして企業の農業体験、ツアーなどの管理調整となる。
就任3日目くらいで初めてのトラクターによる耕運。成果が目に見えるので楽しい。
前職と違い身体を動かす仕事で、一日の終わりに心地よい疲労感に包まれる。
周辺の景色も素晴らしく、通勤時に鳳凰三山、甲斐駒ケ岳が展望でき、北には八ヶ岳、遠くには富士山が見える最高のロケーション。
今のところ、気持ちよく働けている。
今後、暇があったら活動内容や北杜市での暮らしのことを載せていきたいと思う。
ネパール エベレスト街道トレッキング【最終回】
ネパール エベレスト街道トレッキング11〜14日目
- トレッキング11日目:ゴーキョ・リ登頂(標高5360m)〜ゴーキョ2泊目(標高4790m)
- トレッキング12日目:ゴーキョ〜レンジョ・ラ(標高5360m)〜ターメ(標高3820m)
- トレッキング13日目:ターメ(標高3820m)〜ルクラ(標高2840m)
- トレッキング14日目:ルクラ〜カトマンズへ帰還
- <簡単なまとめ>
トレッキング11日目:ゴーキョ・リ登頂(標高5360m)〜ゴーキョ2泊目(標高4790m)
本日はゴーキョ・リを目指す。
6時半頃、暗闇の中、ロッジを出発。登り2時間、下り1時間の予定。
すぐに日が差してきた。
8時頃、順調にゴーキョ・リに到着。「リ」というのは頂上という意味。
今日も良い天気。ゴーキョレイクが見下ろせる。
遠くに見えるはエベレスト。ちなみに2日前に登ったチュクン・リはあのエベレストの向こう側にある。カラパタールはここからは見えないが、エベレストの手前にある。
これで、「カラパタール」、「チュクン・リ」、「ゴーキョ・リ」の3つの山の登頂に成功し、本トレッキングの目的を無事果たすことができた。
下山後に朝食としてシェルパシチューをいただく。鶏肉を入れてもらった。あっさりしていて美味しい。
1時間ほど休んだあと、ゴーキョより先にあるフォースレイク、フィフスレイクを目指して歩くことにした。空が青くて気持ちいい。
3時間くらい歩いて到着したフィフスレイク(5番目の湖)。頑張って歩いたわりにただの湖で少しがっかり。
フィフスレイクの近くにあるエベレストのビューポイント。とても綺麗にエベレストが見えた。人の気配も動物の気配も全くない。
話は変わるが、ロッジにあるストーブの燃料は乾燥したヤクの糞なのだ。道端に転がっているヤクの糞を拾ってカゴに詰めている人をたまに見かける。循環型社会。無駄なものなどないのである。
トレッキング12日目:ゴーキョ〜レンジョ・ラ(標高5360m)〜ターメ(標高3820m)
今日は峠越え。当初は来た道を引き返す予定だったが、それも面白くないので、レンジョ・ラを超えてターメを目指すことにした。「ラ」は峠の意味。
これまでの3つの山は不要な荷物をロッジに置いて軽荷で登ることができたのだが、峠越えでは全ての荷物を背負って5360mの高さを登らなければならないので少々きつい。
遠くにゴーキョの村が見える。この日は、トレッキングを開始してから初めての曇りで、時折小雪がちらつくあいにくの天気だった。風も強くてかなり寒かった。
登山では偽のピークによく騙される。目の前に見えるピークを越えると、今まで見えなかった次のピークが現れるのだ。ピークだと思い力を振り絞って登った後に、また登らなければいけないことを知ってがっかりさせられることはよくある。
レンジョ・ラの峠越えでも同じ目にあった。峠のピークと思ったら騙された場所。偽ピークを越えると少しだけフラットなエリアになり、その先には尖った山がそびえる。あれを超えないといけないらしい。疲れた。寒い。ただ寒い。
後ろを振り返る。まだ小さくゴーキョの村が確認できた。
風が避けられる岩陰で、お弁当に焼いてもらったチャパティにピーナツバターを挟んで食べる。チャパティはもちろん完全に冷え切っていた。サーモスに入れておいたお湯が生命線。
10時頃、ようやく峠の頂上に到着。晴れの日と違って、山が荒々しく見える。それもまた良い。
峠頂上からの反対側を望む。ここまでくればあとは下り基調なので楽勝だ。
こんな標高が高くて辺鄙な場所なのにちゃんと階段上に整備されていて素晴らしい。
峠を超えたこちら側はボテ・コシという川沿いを歩く。
12時頃、ルンデという村で昼飯休憩。シェルパシチューをいただく。
放置されていると思われる石小屋。フォルムと佇まいが素敵。
16時頃、ターメに到着。本日はここで宿泊。
宿泊したロッジ。
本日のダルバート。
ここは今までの泊まった中で最悪のロッジだった。
ここのロッジは食堂と部屋が別建物になっていて、チェックインを済ませ部屋で荷物を整理して休憩し、食堂へ移動しようとすると、なぜかドアが開かない。外側から鍵がかけられているようで、近くの窓越しから食堂の窓に向かって出られないことをアピールするも、人の気配がなく誰も気づかない。30分ほど窓際に立って誰かが通らないかを待った末、通りかかった宿屋の親父が気づいて、ようやく外に出れた。
後々に聞くと、風が強かったのでドアがばたつかないよう鍵を閉めたとのこと。いやいや、一言言ってくれ。
翌朝は7時には朝食を食べてロッジを出発したい旨を寝る前に伝えておいた(だいたいどこのロッジでも次の日の朝食メニューと時間を前日に伝えておくシステム)。翌朝の7時前に食堂に入ろうとしたら鍵がかかってて入れない。ん?と思ってノックするも応答する気配が無い。建物の周囲を歩いて窓から中を確認すると、宿屋の親父とおばさんが気持ち良さそうに布団で寝ていた。もう笑ったね。窓をノックし2人を起こすと、朝食は諦めて金だけ払って出発した。
このぐらいのことでイライラしてはいけないよね。
トレッキング13日目:ターメ(標高3820m)〜ルクラ(標高2840m)
今日はトレッキング最終日。カトマンズ行きの空港があるルクラまで歩く。夕方までにルクラに着いて、飛行機のリコンファームをしたい。
朝、ロッジの親父が起きるのを待つ間に朝日が差し込んだ。
標高が低くなるにつれ、森林限界の岩と砂の景色は変わっていき、だんだん里山チックになっていく。
風情ある松?があったり。
マニ石の大群があったり。
ヘリポートがあったり。高山病などで動けなくなったらヘリで救助される。多額のお金がかかるが、保険に入っていれば自己負担は無いらしい。実際トレッキング中はよく上空をヘリが飛んでいた。
9時半頃、久しぶりにナムチェに戻ってきた。
最終日なのでご褒美。ナムチェベーカリーという店でチーズピザをいただく。熱々でめちゃくちゃうまい。朝食を食べなかった分余計にうまい。(ダメ親父よありがとう)
腹が満たされたところで、ルクラまで急ぐ。ナムチェからルクラまでの道はやはり人が多くて閉口。
この時は、あの素晴らしいトレイルに戻りたい気持ち半分、早く街に戻ってシャワーを浴びたい気持ち半分だった。
一時半頃、昼飯休憩。青空の下、ラストシェルパシチューを楽しむ。
15時頃、ルクラに到着。飛行機のリコンファームにも間に合った。明日の朝の便で出発する。
ルクラもナムチェほどでは無いが大きな村で、カフェやパブ、トレッキング用品店などが並ぶ。
世界で一番危険と言われる空港、テンジン・ヒラリー空港。短くて傾斜した滑走路。離陸は傾斜を利用してスピードを出し、着陸は傾斜を利用してスピードを落とす。滑走路の先は谷。風だったり、霧がかかっていたりすると、天候不順ですぐ欠航する。一週間前だと強風で3日連続で欠航していたらしい。
宿泊したロッジ。英語はあまり通じないが人の良いおばさんで、ロッジ自体も綺麗で良かった。
本日のダルバート。安定したうまさ。
トレッキング14日目:ルクラ〜カトマンズへ帰還
朝6時に空港へと向かう。6時半出発の予定。
空港で搭乗手続きなどを済ませて、飛行機を待つ。搭乗手続きの際、顔の日焼けのせいか、ネパール人に間違われる。嬉しいのやら悲しいのやら。
飛行機はカトマンズから到着したら、カトマンズからの乗客と荷物を素早くおろし、カトマンズへ向かう乗客と荷物を素早く詰め替えてすぐさま出発というなんとも慌ただしい感じだった。
飛行機内部。10人くらいしか乗れない狭い機内。機体バランスに影響するのか、右側の男性が左側の女性と入れ替えられてた。
離陸の際は少し緊張したが飛行機は無事離陸してくれたので、あとは30分間のフライトを楽しむだけ。
カトマンズ市街を見下ろす。
あっという間に到着。
これにて、エベレスト街道トレッキングの旅は終了。
<簡単なまとめ>
- オフシーズンだったのでトレッカーが少なく、トレイルが静かで良かった。
- 歩く、食べる、寝るだけのシンプルな生活が心地よかった。
- 里山から8000m峰まで、様々な景色を眺めながらのトレッキングは本当に楽しかった。
- 特に標高4000mを超えて森林限界となるエリアの雰囲気はとても素晴らしい。
- カトマンズ〜ジリまでのバスは過酷。
- ガイド、ポーター無しでも余裕で歩ける。
- ジップロックなどの食べきれなかったご飯を詰める容器があると便利。
おわり
ネパール エベレスト街道トレッキング【その7】
ネパール エベレスト街道トレッキング9〜10日目
トレッキング9日目:チュクンリ登頂(標高5550m)〜ポルツェ(標高3810m)
今日はチュクンリ(標高5550m)の登頂を目指す。登り4時間、下り2時間を想定。昨日のカラパタールより長丁場になるので、朝食にチベタンブレッドを食べ、半分残して行動食にした。
7時頃ロッジを出発。昨日のカラパタールでは日の出前に出発して寒い思いをしたので、今日はゆっくりめのスタート。ただ、昨日に比べ風が穏やかだったので、それほど寒さを感じなかった。
1時間程度登ると、景色がひらけて高原風に。目の前にはローツェ南壁が輝く。
チョルテンが乱立。
途中から道がガレた岩場となっていく。足元の石はグラグラでかつ急勾配なので、非常に登りにくかった。両手足を使って慎重に登る。
予定よりも早い9時半頃、チュクンリ山頂(5550m)に到着。
ローツェ南壁(標高8414m)が目の前に!エベレストがかつて海底にあった証拠のイエローバンドもくっきりよく見える。
360度絶景。
ローツェ南壁とザック。
風も穏やかで、太陽の光が暖かいので1時間ほど山頂にいただろうか。十分景色を楽しんだので下山。
下山後、チェックアウトを済ませポルツェへと向かう。チュクンからは下り基調だが、途中地味なアップダウンがあり、距離も長いので先を急ぐ。
今日は雲が多いがそれもまた良い。
歩荷。めちゃくちゃ重いらしい。
標高が下がってくるとガスが停滞するようになる。日が入らないので肌寒い。
振り返ればアマダブラム。やはりカッコ良い。
17時頃、ポルツェ(標高3810m)に到着。ものすごく疲れた。連日歩いた疲労が溜まっているのかもしれない。
泊まったロッジのおっさんがとてもいい人でホスピタリティが最高だった。パッと見た感じ、ただの人の良さそうなおっさんなのだが、エベレストなど8000m級の山をなんども登頂した経験があるとのこと。経験豊富なおっさんに今後の予定や天候についてアドバイスをもらう。
本日のダルバート。おかずが豊富、そして美味しい。人は良いし、飯もうまい。しかも部屋の中にコンセントがあって、タダで充電が可能だった(普通のロッジだと充電には300〜500ルピーくらいかかる)。心の中でナイスロッジに認定した。
トレッキング10日目:ポルツェ(標高3810m)〜ゴーキョ(標高4790m)
今日はゴーキョまで。登り基調で標高差はあるが、これまでに高度順応は十分できているので、今までに比べればイージーな道のりだ。
朝食はシェルパシチュー。カレー味でうまい。
ポルツェを出発して、谷を下りて川を渡り、ドーレ方面へと進む。
滝が凍っている。
12時前にマッツェルモ(標高4470m)に到着。ここで昼飯休憩。腹が減っていたのでチョウミンをいただく。わかってはいたがやはり量が多い。少し油っこいが味は悪くなかった。頑張って完食。
ゴーキョ方面はカラパタール方面よりもトレッカーが少ない。静かに歩ける。
途中何度か遭遇した全然逃げない鳥。
ここから先に進むに連れて5つ湖が出現する。
これはファーストレイク。カモのような綺麗な鳥が浮かんでいた。
セカンドレイク。大部分が凍っているが沿岸部は凍っておらず、水がとても綺麗
15時頃ゴーキョに到着。目の前にゴーキョレイク(サードレイク)が広がる。
本日のダルバート。だいぶピンボケ。
つづく