自意識が邪魔をする
自意識が邪魔をしてブログが書けないという話。
こう書いたら読んだ誰かが勘違いしないか、誤解しないか、馬鹿だと思われないか、くだらないことばかり書いているなとか、などなど他人の評価、目線がちらつき、筆が止まる。
こんなブログ、ほとんど誰も見ていないのに。他人の目などを気にするくらいならブログで世間に発信などせず、メモ帳にただ書き連ねて満足してれば良いのだ。
自意識が邪魔をする
5年間くらい「東京ポッド許可局」というラジオ番組を愛聴している。マキタスポーツ、プチ鹿島、サンキュータツオの3人のおじさんがあるテーマ(番組では〇〇論と呼ばれる)について自由に喋り合うという内容だ。
その番組のコーナーの一つに「自意識が邪魔をする」というのがある。
自意識のせいでできないこと、できなかったことを、理由とともに自己申告するコーナーで、例えば、
文字プリントのTシャツが着れない (→ 意味のない英語を読まれるのが恥ずかしい) 異性の友達を、下の名前で呼び捨てできない (→ 一気に距離を縮めたい感じが耐えられない、馴れ馴れしくできない)
我が身を振り返るとたくさん思い当たることがある。
なにせ、自分は他人の評価を気にして生きてきた自覚がある。そう、自意識過剰。
子供の頃、親によく言われていた記憶があるが、大人になった今でもそう思う。
現在、この自意識が邪魔をして自由にブログが書けないのである。
そもそもブログを始めた理由
1つは備忘録として。
人間の記憶なんてあてにならない。自分の都合のいいように記憶を改ざんすることも確実にある。当時の出来事、何を考えていたかをアウトプットしておくと、後々役に立つと考えた。
2つはアウトプットの練習として。
文章を書くことは、ある意味生産的行動と考えた(それがどんなにくだらなくて便所の落書きレベルのものでもね)。
そして文章は書かないと上手くならない。
今までの人生、ほとんどインプットばかりだった。インプットしたらアウトプットしなければバランスが悪い。便秘だ。入れたら出す。
フェイスブック、ツイッター、インスタグラムなどのSNSで、誰でも気軽に情報を発信できるようになって久しい。しかし、前述の自意識が邪魔をしてほとんどやってこなかった。(人に馬鹿がバレるのが怖かったり、こんな程度の人生か笑と思われたくなかった)
ブログによる広告費などの収入になればいいなーと軽く考えていたが、始めてみたら、相当な努力と分析、根気が必要で自分には向いていないと感じたため諦めた。
つまり、このブログは、誰かに読んでももらおうという類のものではなく、あくまで自分のために始めたものだった。
これからは無駄な自意識は捨てる
自由にブログを書くためにくだらないプライドは捨てよう。馬鹿に思われようが、文章が稚拙だろうが、中身がなかろうが、ブログを書くことはアウトプットの練習である。練習なので、どんどん書くことに意味がある。脚色せず、ありのままを書くことに価値がある。
プライドを捨てる。他人の目を気にしない。これはブログに限った話ではない。
他人のための人生ではない。自分のための人生だ。他人の顔色を伺って生きても面白くないし意味もない。
他人にどう思われようと、自分がやりたいことを制限しない。自分の欲求に素直になる。もっと気楽に生きよう。
人は皆自分が大好きなのだから、誰かの言動などその瞬間は気になるだけでどうせ後ですぐに忘れるものだ。
もちろん、社会常識は守る範囲でね。
以上